「まつりのあと」~ある集落で起きていること~

御所市

写真・文=中井戸隆(御所市文化財課)

御所市に生まれて50数年、ほぼずっと御所市民です。

いま起こっていること、思っていることを、本家の跡取りで、農家の長男坊の私が、つらつらと書きつらねてみます。

ちなみに、私の職業は地方公務員。地元の教育委員会で文化財課の課長をしています。今後、機会があれば、地域の文化資源についてもお話ししたいと思いますが、職業柄、文章の中身が少々小難しくなるかもしれません。ご勘弁ください。

さて、田舎の心象風景のひとつに「お祭り」というものがあると思いますが、皆さんはいかがでしょうか?

私が暮らす地域でも、数百年続く氏神様の祭礼の神事が執り行われていましたが、昨年の秋を最後に休止となってしまいました。いま、あちこちの地方の集落で起こっていることを、私の地元をひとつの例としてお伝えしたいと思います。

栗の実が落ち、稲穂が色づき始めると、このあたりの多くの家々は色々と忙しくなるのが常でした。稲刈りの準備もそうですけど、「秋祭り」の支度がありますから。

私の住む集落の氏神は、「國見神社」という古い神社。ただし、古社と伝えられるだけで、その来歴は今ひとつ不明のようです。

國見神社は、国見山麓の今住(いまずみ)、原谷(はらだに)、上方(かみほう)という3つの集落の氏神として祀られ、それぞれで「宮座」や「講」と呼ばれる氏子の祭祀組織が、神職と共に神事を行います。宮座や講というのはですね、ちょっと怒られそうですが、地域の祭礼の実行委員会と祭礼同好会のようなものであった、とでも言っておきましょうか。まあそんな感じです。ただし、現在の両者の間には、それほど大きな違いは見られなくなっています。

まず國見神社の宮座ですが、12軒の家で構成され、それ以上は宮座に加入することはできません。これは「株座(かぶざ)」と呼ばれる古い制度の名残で、昔は神事をお世話する特別な権限を持った特定の氏子のみが宮座に加入できたことに由来します。

一方、宮座以外の氏子は「講」と呼ばれる親類や職業的な繋がりによる自主信奉組織をつくり、お祀りします。

國見神社の祭礼で特徴的なのは、その年の頭家(とうや:祭礼の日から次の祭礼の日までの1年間、神様のお世話をする祭礼の中心となる家)に「御假屋(おかりや)」と呼ばれる依代(よりしろ)をこしらえ、宵宮の日に国見山の神様をお迎えし、神様とともに直会(なおらい:祭礼での宴会みたいなもの)を催すことです。

ただ、御假屋作りの材料調達が困難となってきたため簡略化したりと、古来の形を残しているのは宮座だけとなってしまいました。

また、直会のあと、神様を国見山にお戻しするため神社に参拝しますが、その道中「ワイノ ワイノ ワーイ!」と大声で叫ぶことを7回行います。直会でみんなベロベロになっている上に、頭屋から神社まで遠いときは30分くらいかけて徒歩で参拝するものですから、本来「ワイノ ワイノ ワーイ!」と叫ぶところが単に「ワーッ!」とか「ウォー!」になりがちです。当然、神主さんもヘベレケです。

さて、かく言う我が家も、別名「古座」と呼ばれる上方の宮座に属していました。「属していた」と過去形なのは、昨年の令和3年限りで宮座の活動が休止してしまったからです。そして、國見神社氏子の他の座講の多くも、時を同じくして活動を休止してしまいます。

休止となった理由は、皆さんお察しが付くとは思いますが、少子高齢化と過疎化による後継者問題、そこに新型コロナウィルス感染症がとどめを刺した格好となります。

おそらくは江戸時代、もしくはもっと古い時代から連綿と続けられてきた祭礼が、あっけなく終焉を迎えてしまったのです。本当に、呆れるほどあっけなく。一応「休止」とはしていますが、おそらく再開は難しいでしょう。

ところで、何の巡り合わせか最後の頭家は、我が家でした。

祭礼費用の積立金の精算や、祭礼用具の処分などを任され、お膳一式や麻の裃などの祭礼用具については貴重な民俗資料ですので、私の職場である市文化財課へ寄贈することに。一番やっかいだったのは「宮田(みやだ)」の処分でした。

宮田とは、宮座や講それぞれが所有する水田のことで、昔は、獲れた米の収益で祭礼費用を賄っていました。今なお宮田を所有するのは我々の宮座だけとなっていて、なかなか骨の折れる作業でしたね。

さて、いきなりですが、地方の集落などのコミュニティって、どういった要素で繋がっていることが多いと思いますか?

農業などの伝統的な生業や地形・気候など、様々な要素はあると思いますが、やはり「神社」の存在が大きいのではないかと私は感じています。

職業柄、市内のお祭りの調査なども行うわけですが、祭礼の催行や神社の掃除などなど、コミュニティの基本的な年間予定は、多くの地域で神社関係の共同作業が中心となっています。また、稲刈りの時期なども、秋の祭礼後に始めるといった慣例があったりもします。

ところが、地域の重要な共同作業のひとつである祭礼が、私の住む地域から突然無くなってしまったのです。

宮座や講の家は世襲であることが多いため、住民同士のヨコの繋がりだけでなく、世代を継ぐというタテ糸の役目も担っていました。集落内は高齢者だけの世帯が増え、市外に住んでいる子どもや孫が、祭りの時期だけは帰省するという家も多く、生活する場所は違えど、國見神社の氏子であるというアイデンティティを確認する年に一度の機会であったのですが、今年は何だか少し寂しい秋となりました。

とはいえ、神社などを中心としたすべての神事が廃れたという訳ではなく、大晦日の年越し行事や、とんど行事(地域によっては「左義長」「トンド焼き」などと呼ばれる。)などは、今のところ毎年行われています。

ですが、特にトンドの大松明づくりなどは作成方法に厳格な決まりがあり、また、人手も結構必要となります。実際、今般のコロナ禍のもとでは、写真のような本式のものではなく、藁などを積み上げただけの簡単な形で実施したところもありました。

歴史的に見れば、伝統行事や風習などが簡単に消え去り、忘れ去られることは普通なのです。ですが、それらは戦乱や災害によるコミュニティの強制破壊によるものが多く、現代とはかなり事情が異なります。

全国的な少子高齢化や農業者人口減少のなか、伝統行事を伝承していくこととコミュニティを存続させていくこと。住み続けるものたちに突きつけられた、何とも悩ましい課題です。

ただ、先ほど「歴史的に見れば…」と申し上げましたが、旧来の伝統行事などが何らかの理由により消失しても、コミュニティが存続する限りは、また新たな伝統が根付くことも歴史的に見ればよくあることです。

今後に向け、はっきりとした道筋を見出せているわけではありませんが、これからは、集落を単位とした小さなコミュニティ内の結びつきだけでなく、複数のコミュニティ間での協力や交流が不可欠なのではないでしょうか。

私も、いわゆる「ええ歳」となりました。これからも此処でずっと暮らすつもりですので、いろんな人と語らい、いろんなことを考え、いろんなことを次の世代に継いでいければ良いなと思っています。

中井戸 隆

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奈良県御所市生まれ。御所市役所には一般事務職員として入庁したが、諸般の事情により、大学で考古学を学んでいたことに目を付けられ、現在は文化財課長。埋蔵文化財や「御所まち」の古建築物調査、市天然記念物である葛城山のギフチョウの保護など、その業務は多岐にわたる。子どもの頃から写真を撮るのが好きで、主に御所市内の風景などを、日々仕事と趣味を兼ねて撮り続けている。

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