【第1話】街と奥山のあいだ。自然と文明のバランスが「ちょうどいい」宇陀市で見つけた、健やかな暮らし 〜里山の豊かさ編〜

2017.10.02  宇陀市

写真・文=赤司研介(SlowCulture)

2012年、神奈川県から奈良県に住まいを移して早5年が過ぎた。妻と娘、息子と二匹の猫と一緒に、宇陀市内の農村地で暮らしている。生まれ育った場所を離れ、標高300mのところにある大和高原に越した理由は、なんだかんだでさまざまある。

東日本大震災の10日後に生まれた娘を、放射能のリスクから遠ざけてあげたかったこと。妻の実家があるため、初産の不安や負担を軽減できること。緑に囲まれた、より深い自然環境の中で子どもを育ててあげたかったこと。フリーランスのライターという職業柄、働く場所に縛られなくてよかったこと。

それらを総合すれば、逆に引っ越さない理由を探すほうが難しかったのだ。大きな決断だったけれど、特段迷いもしなかった。なんとなく流れのままに、「ほないこか」という具合である。自分でも驚くほどに、それは自然な流れかつ、ラッキーだった。

そうしてたまたまやってきた宇陀市が、ありがたいことに、僕は世界一「良いところ」だと、心の底から思っている。

どこまでも広がる大きな空。どこか凛とした高原の空気。豊富な土と多様な植物。リビングにいると常に聞こえる沢の音。そこかしこに生き物がいて、都会のマンションで暮らしている時のように、迷い込んだ虫を執拗に追い回す気にもならない。キリがないから一緒に生きていくしかないなと、自然に思える。寛容になる。

秋になるとコスモスが咲き、ミツバチがやってくる

息子が生まれ、二人になった子どもたちは、豊かな自然を体で感じながら、とても素直に育ってくれているように思う。30世帯くらいの集落に入らせてもらって暮らしているが、本当に良くしてもらっているし、本当に楽しい。村の行事もそのほとんどに参加させてもらっているが、楽しい。ごくまきなんか最高だ。

ごくまきとは、神社での神事の後などに行われる餅まきのこと。大人も子どももみんなワイワイ盛り上がる

子どもたちが勝手に、村の観音さんに「あん(手を合わせる)」するようになったのには驚いたし、とてもうれしかった。

米や野菜を育てている人たちが周りにいる。僕たちも少しだけ育てたりもする。食べ物をつくれる実感が心と体に宿る。家に帰ったら近所からのおすそ分けが置いてあったりする。「あぁ、ありがたいなぁ」と心から思う。

ふと耳をすませば、鳥や虫の声が聞こえて来る。夏になれば早朝から草刈機の音がする。働き者の音だ。季節毎に花が香る。そこらじゅうに薬草が生え、秋になれば柿や栗がなり、冬になればゆずがとれる。何もしていないのにいただける恵み。自然と感謝の気持ちが湧く。

そんないわゆる里山の豊かさを享受しつつ、宇陀には街の要素もある。そのバランスが最高なのだ。

第二話は宇陀市の街的な素晴らしさについて書きたいと思う。よろしければお付き合い願いたい。

text 赤司 研介 (SlowCulture)